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シンガポールで8年前に癌の学会がありまして私が呼ばれて行きましたとき、日本では患者さんが死んだあと遺族にどういうケアをしているのか話してくれと間がれたのです。私は、日本の病院では患者さんが亡くなったとたんに医師もナースもああデューティが終わったという印象を持つと思います、しかしナースは死後の処置までして、医者と看護婦は玄関まで送っていってそれでおしまいです。病院では心あるご遺族がお世話になりましたという挨拶があったときに会うぐらいでしょうと答えました。
ただし、ご遺体が家に帰ったときにお通夜というものがあって隣近所の人が集まってきて、そして一周忌までのあいだ何回か集まって亡くなった方の話をする。そこではお金を持ってきます。これは江戸時代からあるようですが、ある意味の共済制度でしょう。それからみんな一緒にご飯を食べお酒を飲みます。そういうことで亡くなった方の話をしているうちに遺族の悲しみが癒えてくるのではないか。私は自分の肉親を失った経験その他からそう思います。これは非常に日本的だというわれるかもしれないがと話しましたら、セントクリストファースホスピスのメリー・ヴァインズ先生から、英国のシステムより日本のシステムのほうがいいと言われたことがあります。
−ご遺族の話が出たので地域に密着した医療をやっている診療所の立場からお話したいのですが、患者さんを往診してお亡くなりになる。お通夜がすんで葬式がすんで一段落すると、必ず今度はご家族の方の往診の依頼があるのです。私のところは道路に面して全部患者さんという感じなので、帰りがけにどうですかと声をかけたりそんなことをずっとやっております。
−私も往診をしている立場なものですから、家族との関わりというのはやはりご自宅に行って関わるほうが病院で関わるよりは濃度がずいぶん違うような気がしています。病院にいた時は、お送りするとそこで終わりだったのですけれど、いまはお通夜があってお葬式があってという時にも関わっていきますから、家族全体と関わっていくという形になってきます。ですから終わりはありません。
Andrew イギリスでは患者さんと家族を切り難してしまうことによって、つまり患者さんを病院あるいはホスピスに入れることによって問題がさらに悪化したり困難度が増したりする事態が生ずることもあるのだと気づいてきました。
そしてイギリスでも遺族が悲しみを乗り越えるプロセスを助けるようなやりかた、慣習とか伝統をつくっていく必要があるのではないかと感じました。武田先生が法事、お通夜を通じてそういった悲しみを外に出す機会が日本の場合には与えられているというようなことを話されましたけれども、そういったような習慣がイギリスの場合にはなくなってしまっているからです。
イギリスには一つだけ自慢できるようなやり方というのがあります。それはGPの制度が整備されていましてコミュニティードクター、コミュニティーメディシンあるいはコミュニティーナースという人たちが活躍しており、病院、ホスピスで得られるのと同じぐらい、できる限り高レベルの医療を行いつつ患者さんが自分の家庭において過ごすことができるように最大限の努力を払っていることです。
丸屋 ペインコントロールなどについては非常に科学的・医学的に論じられていますが、たとえば家族とか人間という面からしますと急に伝統うんぬんということに切り換えられていってしまう。それは大事で保存していかなければならないものだけれども、多分崩れていくものだろうとも思うのです。ですからそれを保持しながらも、たとえばアメリカの場合にはソシアルワーカーが家族の問題については科学的・学問的に研究しながらその領域を医療に組み込んでいっていることから考えると、日本の場合にもそういう意味のいわゆるソシアルワーカーとかあるいは心理学者がもっと家族に対する学問的な面からのアプローチをして、それを医療に取り入れなければならないのではないかと感じました。
紅林 家族というものに対する考え方をもっときちんと捉えて関わっていかなければいけないのではないかなということを教えられますね。
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